検見川神社の神楽は、巫女舞より始まり豊楽餅投げにて終了する「十二座神楽形式」となっています。
□鳴り物は、大太鼓・大拍子・チャッパ・笛より構成されています。 2000年までは、毎年、10月9日に取り行なわれておりましたが、2001年より、10月の第二土曜日か第三日曜日になりました。詳しくは参加情報を参照願います。またはメールでお問合せ下さい。 |
■巫女舞「みこまい」(一人舞) |
巫女舞というと女性の舞と思われますが検見川神社神楽の場合は、神官の衣装を着て舞われ唯一のお面を付けずに舞われる神楽です。 |
■衢神六合堅目の舞「ちまたのかみろくごうかためのまい」(二人舞) |
通称「天狗の舞」と呼ばれています。最初に従者(ひょっとこ)が笹を持ち出てきて庭掃きの舞を行います。笹でこれからここを通る神々のために掃き清める舞です。終わると衢神(天狗)が登場します。天孫邇邇芸命が天降りの際、道案内役をした神であります。天地四方を合わせ六合といい国堅め舞で、昔は四方をすべて舞っていましたが一人で踊る舞いとしては最長であり、時代と共に短くなり現在では上手・下手のみ舞われ裏上下手は省略しています。途中に鉾で「天地神明」という文字を書いています。 |
■老翁悪神祓の舞「ろうおうあくしんばらいのまい」(一人舞) |
一般的に「翁の舞」と呼ばれており、衢神六合堅目の舞によって国を堅められたのち悪神を鎮め厄を祓い、国穏やかに何事も無きようにと祈り舞われる神楽です。 |
■千箭発弓の舞「ちのりはっきゅうのまい」(一人舞) |
戦国の武将、八幡太郎義家公が弓の名人だったことからいつの頃からか「八幡(はちまん)の舞」と呼ばれるようになりました。 |
■天狐乱舞の舞「てんこらんぶのまい」(二人舞) |
雄のキツネと雌のキツネが豊作を喜び舞われる神楽です。 |
■湯笹露祓いの舞「ゆささつゆはらいのまい」(一人舞) |
現在では舞われることはありませんが、現存するお面に露祓いに使用するうすめ面があり、おそらく畑町子安神社神楽と類似した神楽と思われます。尚、笛の唱歌が神楽全集に書かれています。 |
■稲倉魂神五穀種蒔の舞「うかのみたまのかみごごくたねまきのまい」(三人舞) |
現在では舞われることはありませんが、現存するお面に大国主命や稲倉魂神があり、おそらく畑町子安神社と類似した神楽と思われます。 |
■八重事代主神釣の舞「やえことしろぬしつりのまい」(一人舞) |
通称、「恵比寿の舞」と呼ばれています。事代主命は七福神の一人、恵比寿様と思われていますが恵比寿は外人を意味するエビスであり、元々は人々を幸福にする外国の神でありましたが釣竿と大きな鯛を持った事代主命に似ていたので事代主命を恵比寿様として信仰を集めるようになってきました。 |
■天鈿女神遊行の舞「あめのうずめのかみゆうぎょうのまい」(一人舞) |
一般的には「おかめの舞」と呼ばれており天鈿女神は天岩戸の前で舞をしたことは有名であり日本国最初の神楽でもあります。古来より神楽・舞楽・芸能の神様として奉られてまいりました。 |
■素戔鳴尊オロチ退治の舞「すさのうのみことおろちたいじのまい」(四~六人舞) |
現在では舞われることは有りませんが、現存するお面に大蛇面がありますが角が取れていてどんな角が生えていたか今となっては判りませんが舞楽に使用するような立派な大蛇面です。 |
■天目一箇神鍛冶の舞「あめのまひとつのかみかじのまい」(二人舞) |
通称「宝剣打の舞」と呼ばれており、天目一箇神は天ノ岩戸の前で鏡作りの祖神である石凝姥神が八咫の宝鏡を造る際に相槌を務めた鍛人、天津麻羅と同一の神であると言われています。古来より鍛冶の神と奉られてきました。 |
■大山祓神悪人退散の舞「おおやまづみのかみあくにんたいさんのまい」(三人舞) |
お神楽の最後には必ず行われる舞で、豊楽餅投げへと進み終了とあいなります。 資料提供=石川隆夫 |